
1939年10月12日ノースカロライナ州ウィルミントン生れ。ホーキンスはノースカロライナ州立大学で経済学を専攻するが1年で中退。彼にとって経済学はあまりにも退屈すぎた。
1960年3月にデトロイトで陸軍に志願し入隊する。彼は目覚しいスピードで昇進し、3年後には二等軍曹に昇進し特殊部隊に転属する。フォートブラッグで作戦行動と情報分析の専門技術を訓練を受けた。訓練期間終了後に沖縄に配属される。その後、タイとベトナムでそれぞれ1期間の任期を務め沖縄に戻った。
2期めの沖縄を1年間過ごし、ホーキンスはベトナムへの転属を希望する。当初はLLDB(南ベトナム軍特殊部隊)レンジャー訓練学校の軍事顧問を務めていたが、情報担当軍曹の補充要員としてヌイペク基地に赴任し、現在に至る。

スティーブは子供の頃から軍人になることに憧れていた。しかし、歳の離れた兄が第2次世界大戦で戦死したことによって、彼の家では軍隊が話題になることはなかった。食料品店を経営していた父の後を継ぐために大学で経済を学ぶことになったときは、両親はそろって胸をなでおろしたものだった。しかし、はじめから彼はそれが自分に向いた生活ではないことを確信していた。
彼は父親と折り合いが悪かった。高校卒業直前に母が亡くなったことによって、大学を1年で退学してしまった。これが原因で父親との関係が悪化し、彼は親友と共に家出をした。家を出てどうするかは何も考えていなかった。数ヵ月後、彼は親友と陸軍の新兵募集事務所のドアを叩き、デスクの後ろに座った軍曹に言った。「兵隊になりたい」と。こうして彼はアメリカ陸軍の二等兵になった。
ホーキンス二等兵は、すぐに頭角をあらわし伍長、三等軍曹と昇進を続けた。特殊部隊の訓練を受けるため、フォートブラッグに転属になった頃に、彼は父親との関係を修復する必要を感じるようになった。父親はスティーブが後を継ぐことを望んでいたが、人生というのは後戻りのきかないものだ。彼は立派な軍人であり、何があろうと軍に留まる決意を固めていた。
彼は軍隊生活にともなう困難をすべて「試練」として甘受し、闘犬のような決意でそれらにぶつかっていった。彼の専門分野は「情報分析および作戦行動」であったが、特殊部隊員の例にもれることなく厳しい訓練を通じてあらゆる軍事技能を身につけていた。
沖縄への転属が決まったとき、彼は狂喜した。何故なら、第5特殊部隊グループの隊員にとって、沖縄こそ血沸き肉踊る場所だったからだ。これまでスティーブはなかなか実戦に出るチャンスに恵まれなかったが、ようやくチャンスがめぐってきたのだ。この機会を無駄にするつもりはなかった。
ベトナムではしばらくの間、彼はナトラングのLLDBレンジャー部隊のコマンド訓練センターで勤務したが、彼にとって退屈な仕事であった。唯一面白かったのは、ベトコンの地下トンネル網を突破するための「トンネルラット」の訓練課程だけだった。
数週間後、スティーブは大きな「当りクジ」を引き当てた。ヌイペクにあるA216分遣隊のベースキャンプに配属されたのだ。これでようやく大暴れすることができそうだ。

スティーブ・R・ホーキンス一等軍曹は極めた優れた兵士だ。彼はどんな任務でも巧みに遂行する。仲間からも信頼され敬意を持たれている。彼の勇敢さと技能は平均を上回っており、戦術的な問題を冷静に分析する才能に恵まれている。
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