Justin
Leonard


Tiger Woods
Stuart Appleby
Mark Calcavecchia
Stewart Cink
Robert Damron
Brad Faxon
Jim Furyk
Lee Janzen
Davis Love III
Justin Leonard
Mark O'Meara

ジャスティン・レナード(Justin Leonard)
もしタイガー・ウッズ(Tiger Woods)が遅刻して、トム・シェレル(Tom Scherrer)が風邪をひいていたならば、ジャスティンは2000年のトーナメントで優賞に輝いていただろう。メモリアル・トーナメントでは、ジャスティンはアーニー・エルス(Ernie Els)とタイで、タイガーよりも4ストローク多い68のスコアで最終ラウンドを終えた。WGC-NECインビテーショナルでは、ジャスティンは10アンダー、270のスコアで2位の成績となった。このときはタイガーの叩き出した驚異の259というスコアから11ストロークも離されていた。ケンパー・インシュランス・オープンの最終ラウンドでは、ジャスティンは自分が強豪のまっただ中にいるということに気がつき、シェレルと2ストローク差の2位タイになんとか漕ぎ着けた。

この若きブリティッシュ・オープンの覇者は、長い間ツアーでのトップゴルファーになることを期待されつつも、このような苦境に立たされ、成功を収めるというのは非常に困難な状態なのだ。プロに転向して以来、ジャスティンはそのシーズンを破綻させてしまうような回り道は決してしてこなかった。

1996年、彼はビュイック・オープンを征した。1997年には、その多くの期待が現実のものとなる最初のチャンスが訪れた。ブリティッシュ・オープンにおいて、他の有力な選手が70のスコアに終わっている中で、彼は最終ラウンドを65で回り、ジェスパー・パーネビク(Jesper Parnevik)を2ストローク差で下した。彼は1979年にセイブ・バジェステルが22歳で成し遂げたのに次いで、25歳という若さでブリティッシュ・オープンのチャンピオンとなった。

ラウンドを重ねるに連れ、ジャスティンはそのグリーン上での素晴らしい能力を証明してきた。彼が1999年のライダー・カップで45フッターのパッティングでバーディーを決め、USチームの勝利ポイントの半分に貢献したこのパッティングは、恐らくライダー・カップ史上最高のパッティングだったと言えるだろう。この後、5フッターは何でもなくなっている。

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