Jim
Furyk


Tiger Woods
Stuart Appleby
Mark Calcavecchia
Stewart Cink
Robert Damron
Brad Faxon
Jim Furyk
Lee Janzen
Davis Love III
Justin Leonard
Mark O'Meara

 

ジム・フューリク(Jim Furyk)
ジム・フューリクの名前は、殆ど全ての賞金ランキングで見ることができる。2000年のシーズンのうち最初の22大会では、彼は一度もシングルカットを逃さなかった。1999年には、一度だけ逃している。この一貫したゴルフこそが、ここ3シーズンで彼がほぼ確実に賞金ランキングの上位に名を連ねてるゆえんである。それに伴って、彼はラスベガスでのインベンシス・クラシックを含む5つのツアーで勝利を遂げ、同僚のプロたちをも重んじている。

1992年にプロに転向して以来、ジムは遂に1995年のラスベガス・インビテーショナルにおいて、最終ラウンドを67のスコアで終了し、ビリー・メイフェア(Billy Mayfair)を1ストローク差で下し、優賞に輝くという大躍進を遂げた。1998年、1999年のラスベガス・インビテーショナルをいずれも1ストロークで勝利を遂げているジムにとっては、ラスベガスはまさに"金のなる街"となっていた。ジムはこの街に引っ越す予定こそなかったが、このトーナメントを毎シーズン期待しているのは間違いない。

2000年のシーズンに、ドラールライダー・オープンで6打差から追い込みをかけ、結果1ストローク差でフランクリン・ラングハム(Franklin Langham)を下し、5度目のツアーの覇者となったのは記憶に新しいところだ。後半9ホールで、ジムは6つのバーディーを叩き出し、30という偉大なスコアを記録した。彼の65-67-68-65という成績は、マイアミのブルー・モンスターでグレッグ・ノーマン(Greg Norman)が保持するコースレコードに匹敵するものであった。トップ5に6度も輝いたこのシーズンは、ジム自身にとっても素晴らしいシーズンとなっている。

彼は唯一のスイングコーチである父親から独特のスイングを教わった。この父親は、クロスハンドのパッティングを7歳の時にジムに教えていた。ジムは1997年と1999年のライダーカップのアメリカ代表となり、また、1998年と2000年のプレジデンツ・カップのチームにも加わっている。

© 2001 Electronic Arts Inc. All rights reserved.
エレクトロニック・アーツ™EA Store
EA