スチュアート・アプレビー(Stuart Appleby) スチュアート・アップルビーは、PGA TOURのオーストラリアの伝統を継承し続けてきた。グレッグ・ノーマン(Greg
Norman)の足跡に従い、スチュアートは、1997年のシーズン序盤、ホンダクラシックを征した後に、PGA TOURに名乗りをあげた。彼が生まれ故郷の酪農場でパドックからパドックへとボールをうち続けていた、そんな日常からこの表彰台に上り詰めるまでの道のりは、実に長いものであった。
1998年、スチュアートは10アンダー、274の成績でケンパー・オープンで優勝を遂げた。中でも第2ラウンドでの63というスコアが彼の勝利に大いに貢献していた。
翌年、シェル・ヒューストン・オープンにおいては、スチュアートは1アンダー、71という成績で優勝。これは、ハル・サットン(Hal Sutton)と僅か1ストローク差の勝利であった。1999年のシーズンでは、スチュアートは3年連続の勝利を勝ち取り、トップ10に5回、賞金リストでもトップ40に名を連ねた。
2000年のシーズンにも、彼の勢いは衰えなかった。1月に開催されたソニー・オープン・イン・ハワイでは2位に輝いた。8月には国際トップ10リストに3位という成績で名を残し、その2週間後には、PGA・チャンピオンシップで4位につけた。ほんの少しばかりの幸運もあって、スチュアートは今年もこの勢いを保ち続けるであろう。
この勢いはまた、彼の人生に衝撃的な悲劇をももたらした。スチュアートは1998年のブリティッシュ・オープンの直後、ロンドンで妻リーニー(Renay)を若くして交通事故で失っている。スチュアートは彼女が天国から見守る中でツアーに復帰し、そして成功を収めることを誓った。オーストラリアに凱旋後、ニューサウスウェールズの女子ジュニアゴルファーを讃える賞として、リーニー・アップルビー・記念トロフィーが設立された。