武 勇:ジョフリーとドラゴン
(Part 5 of 10)
それはまだドラゴンが自由に空を飛び廻っていた頃、イグナスというドラゴンがおりました。通常ドラゴンは神経質な危険な生き物と考えられますが、それでも、自分自身の生き方やドラゴンなりの面目があるので、全体としてはそれほど凶悪な生き物ではないと言えましょう。ところが、イグナスは例外でした。実際、ドラゴン種族にまつわる一般的な中傷や侮蔑の原因はイグナス自身のせいだとも考えられます。イグナスは悪意に満ちた強欲な獣で、人間の住居を略奪したり、メチャメチャにしたりすることに異常な喜びを見出していました。さらにひどいことに、イグナスは若い人肉が大好きで、殊に若い娘の肉には目がありませんでした。この性癖は、私たちと同じように他のドラゴンから見ても、悪趣味だと考えられていたに違いありません。
さて、ある日イグナスが目を覚ますと、腹も空いていたし退屈でもあったので、奮起して、娯楽と獲物を探しに人間界を目指して飛んで行くことにしました。
その日は、名もない小さな村落(ひょっとしたら名前はあったかもしれませんが、とっくの昔に忘れ去られたのかも知れません)を選びました。そこで、ジョフリーという14歳くらいの少年と、数歳年上のマルジェリーダという姉が住むいなか家をみつけました。この日2人は、家から少し離れたところにある父親の豆畑で草むしりをしていました。
ドラゴンは鷲よりもずっと鋭い驚くべき視力を持っています。雲の合間を行くイグナスの姿は人間の姿よりずっと巨大なのにも関わらず、2人の若者がドラゴンに気付くよりも早く、イグナスの方が兄弟を見つけ出しました。「しめた!これはちょっと良い余興になるぞ。それにランチの前菜としてもなかなかだ。先ず、柔らかそうなこの二人のひよっこ供をむさぼってから、村の残りの人間どもをメインコースとして頂くことにしよう。」
その気になれば、イグナスは、迫り来るドラゴンのことを2人が気付く前に飛び掛かって、簡単に襲うこともできたのでしょう。しかし、奴は何分退屈していたので、獲物とちょっと遊んでやろうと考えました。それで、大きなうなり声をあげ、何の関係も無い豆畑を火の海にし、獲物を逃げ回らせました。
2人の走ったこと!若いとはいえ、彼らは愚か者ではありません。ジョフリーは状況をいち早くのみ込み、近くの土手まで行けば、岩の裂け目に2人が隠れることができるかもしれないと思い、姉さんをそこに導きました。これは、わずかな希望でしたが、ドラゴンにかみ砕かれるよりも、ずっとマシなチャンスでした。
不覚にもイグナスは自分の獲物の機敏さと賢さに感心せざるを得ませんでした。なぜなら、この獲物は、もっとも巧妙にさらりと身をかわしたり這い登ったりして難を逃れていたからです。実際、何度かトドメを刺そうとしましたが、この若者たちは予想外の手段を使って、すんでのところで逃げてしまったのです。しかし、どんなに長く脱けまわれたとしても、結局のところ2人には逃げ切る場所がないことをイグナスはわかっていたので、あまりあせることもありませんでした。
2人が川に近づき、ふしだらけの大きな樫の木の幹を回りこんで逃げようとしたその瞬間、悲劇はおこりました。マルジェリーダが樫の捻れた幹のあいだに足を取られてしまったのです。転んだ彼女は、足をねじってしまい、その幹から足を抜くこともできません。いくらジョフリーが起き上がるのを助けようとしても無駄でした。イグナスはちょっと離れたところで立ち止まって、彼らの災難に対して静かな悦びを覚えながら息を整えました。
もはやマルジェリーダを助ける手だてがないと悟ったジョフリーは、羊飼い用の小さなナイフをとりだし、もうひとつの手で拳大の石を拾うと、ドラゴンとマルジェリーダの間に立ちはだかりました。ジョフリーの若い顔には勇士の決意が覗えました。
これを見たイグナスは非常に喜び、こう叫びました。「次は何だね、ナイト閣下。俺の首を切るほどの徳にあふれた魔法の剣でも持っているというのか?」
ジョフリーは、自分でも信じられない力強い声で答えました。「老いぼれトカゲよ!私はナイトでもなければ、魔法も持っていない。でも、私と闘わないで、姉の命を取ろうなどということは絶対に許さない。チャンスさえあれば、お前の首を喜んで獲ってやろう!」
この勇ましい言葉にイグナスはクックックと笑い、「そんなチャチな道具で俺さまを傷つけられると思うのなら、お前はよっぽどの愚か者だ。さぁ、坊や、逃げてみろ!私がお前の姉さんを貪り食っている間に、隠れる場所でも見つけられるかもしれん。」
「老いぼれトカゲよ、私には、お前を傷つける力も武器もないのは百も承知だ。でも、姉さんの身が危険な時にそんなことは関係ない!」
イグナスは長引いてきた会話にだんだんイライラしながら話しました。「少年よ、お前の論理は目茶苦茶だ。お前が逃げようと逃げまいと、どのみち、姉さんを食ってしまうんだぞ。1人の命ですむところを、なぜ2人分よこすと言うのだ?」
死からは絶対逃れられないという思いが重くジョフリーの心にのしかかってきたが、彼は答えた。「私はお前の議論に対してどうこう言うつもりはない。しかし、お前ごときのために姉さんを見捨てることなんて、どんな議論を持ってきてもありえない。」
狡猾なイグナスは自分が裏切りのかたまりのような奴なので、その時、奴の冷たい心の中に小さな疑いの芽が芽生え始めました。
「そうか、分かってきたぞ...」イグナスはうなるように言いました。「お前が防御のすべもなくそこに突っ立っているのは、どうも理屈が合わない。そうしているのは、実は私に近づいて欲しいからなんだな。きっとその木になにか私の不意をつくような罠か、呪いか、あるいは待ち伏せかなにかをしかけているんだろう!」
「もう一度言おう。お前と言い争うつもりは全く無い。」前にも言った通りジョフリーは決して愚かではありませんでした。
「とはいうものの、実はお前はただ俺を騙そうとしているだけかもしれん...」ドラゴンは考え込みました。「実際、その可能性の方が高いかもしれぬ。だとしてもだ...もし罠がうまく仕掛けてあったら、俺は怪我をしたり、ひょっとしたら死ぬ可能性さえあるかもしれぬ。それなら、お前たちのためにそんな危険を冒すような価値はない。いや絶対にない!」こうして、ジョフリーとマルジェリーダの驚きをよそに、ドラゴンは空高く舞い上がってもっと確実な(とドラゴンが考える)獲物を探しに飛んで行ってしまいました。"
こうしてジョフリーは真の「武勇」を示しました。真の「武勇」とは「勇気の原則」を純粋なまでに蒸留したもののようです。自分の命を省みなかったことにより、彼は救われました。もし、あの時ドラゴンの言う通りに自分が逃げることの方が大切だと走り出していたら、ドラゴンはまずマルジェリーダをむさぼり食い、その後ジョフリーも食べられていたことでしょう。ジョフリーはあの時、いとも簡単に殺されていたかもしれないのに、最終結果ではなく、その時やらねばならないことに固守しました。容易に彼は死んでいたかもしれません、しかし、この場合、彼の「武勇」が彼ともうひとりの人間を救ったのでした。
一方、かのイグナスは自分を守ることを最優先とし、ほんのちっぽけな危険や疑いにも耐え切れなかったため、簡単に手に入れることができたはずのご馳走を逃してしまいました。しかし、イグナスの臆病のツケはもっと高いものとなりました。なぜなら、何年間か後にジョフリーは最も力強い若武者に成長し、まさにナイトになったからです。そして、戦術と力に長けた彼は、強力な魔法の剣などで完全装備し、イグナスを征伐したのでした。そして、ジョフリーがこのドラゴンの頭を馬小屋のドアの上から吊るすと、その頭はマルジェリーダの子供たちが石投げ遊びをする時の格好の的となったのでした。